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『高峰秀子の引出し』。恥ずかしながら、この本に出会うまで私は高峰秀子さんという方を全く知りませんでした。この本も本屋さんで表紙の女性がすごく綺麗な方だなと思い、偶然手に取ったものでした。本を読んで、本当に素晴らしい女性だなと思ったことと、少しでも高峰秀子さんの事を思い出す方が増えればと思い、今回お伝えいたします。

 高峰秀子さん、本名は松山秀子さん。1924年北海道函館市で生まれ。4歳の時に母親が亡くなり、父親の妹の養女となり上京することに。5歳の時偶然蒲田撮影所に遊びに行った際のオーディションに飛び入り参加し、『母』出演が決定。
ここから、高峰秀子さんの長い女優人生が始まりました。子役から『大東京の一角』『愛よ人類と共にあれ』、大人になられてからも『二十四の瞳』『浮雲』と言った名作を数々残している昭和の大スターです。

 しかしながら、実生活は過酷なもので、養女になり母親となった方は、全ての生活費を彼女に任せ、挙句の果てに北海道から親戚が挙って上京し、彼女は9人の生活を全て1人で負わされていました。その後長く、長く、彼女の苦労の日々が続いていました。彼女にとって女優はあくまで仕事であって、私達が描いているような華やかなものではなかったのかと思います。

 それでも、彼女が幸せだったのではないかと思うのが、旦那さんである松山善三さんとの結婚生活です。あくまで、養女である斎藤明美さんの本やご本人の本を読む限りではありますが、旦那さんに尽くし、とても幸せに過ごしていたように感じます。
 2010年にお亡くなりになられましたが、その後「高峰秀子を偲ぶ会」が開催され400人もの方が参加され、また彼女に関する本が沢山発行されるなど、彼女の偉大さが伝わってきます。

 私が彼女のどこに惹かれたかというと、実はというと外見で、それもご高齢になってからの写真がとても魅力的で美しい方だと思ったからです。確かに髪は白く、シワも見られますが、内側からにじみ出るような女性の強さを感じ、惚れ込んでしまいました。昔、「年齢を重ねるごとに樹木の年輪のように素敵な人間になっていくことを心がけています。」ということを韓国の俳優さんが仰っていました。それをそのまま身体で再現していらっしゃるなと、高峰秀子さんのお写真を見て思いました。高峰さんの映画や本には高峰さんの魅力がいっぱいですので、是非見てみて下さい。

 最後にはなりますが、心よりご冥福をお祈りします。

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